2021年3月14日(日)開催「赤穂緞通と中国茶に出会う朝」の授業レポートです
授業当日は快晴で、「あぁ春が来たんだな」と思わせる大変すがすがしい朝でした。
実は、私は授業の1ヶ月前からこの日を楽しみにしていました。偶然インスタグラムで見つけた赤穂緞通の写真に惚れて、その展覧会に合わせて授業が行われると聞いたときには自然にスタッフに立候補していました。
教室は、「琴線 緞通と茶の室礼展」展覧会会場でもある「池半」。授業は「赤穂緞通と中国茶に出会う朝」というタイトルの通り、会場の一階では中国茶、二階では赤穂緞通と、2グループに分けて開催されました。
赤穂緞通と聞いてもピンとこない方もいるかも知れないので簡単に解説しますと、 「あこうだんつう」と読みます。江戸時代末期に「児島なか」というひとりの女性が万暦氈(ばんれきせん)という異国からもたらされた絨毯(じゅうたん)を見たあとに、25年の歳月をかけて独自に考案した木綿の手織り絨毯です。 赤穂とは、兵庫県の赤穂市のこと。
今回の授業は先生が3名いらっしゃって、その中のおひとりが、まさにその赤穂緞通の現役の作り手である阪上梨恵さん。「工房六月 (むつき)」という赤穂緞通の工房を立ち上げていらっしゃいます。
2人目の先生は、佐原誠さん。 赤穂緞通で培われた技術に柔軟な発想を取り入れ、今の暮らしに合うように、綿糸でつくる手織りの椅子敷き「赤穂ギャベ(AKO GABBEH)」を制作する有志団体を取りまとめていらっしゃいます。
3人目の先生は万太郎さん。五条鴨川沿いにある茶室/茶藝室「池半」のご亭主です。ご自身も赤穂緞通の収集家であり、今回の授業のきっかけになった「琴線 緞通と茶の室礼展」という展覧会主催者です。授業はその展覧会の最終日に行われました。
生徒は6名が2班に分かれます。私のグループは二階で赤穂緞通の歴史や製作工程の詳細を阪上先生からお聞きした後、一階で万太郎先生と佐原先生を交えて中国茶をいただくというコースでした。もう一方のグループは逆の順番でそれぞれ授業を受けました。
第一部の阪上先生からのお話では、単にお話を聞くだけではなく、この授業のために特別に用意された日本三大緞通(鍋島、赤穂、堺)の実物を見ながら、時には実際に緞通に触れて違いを楽しみます。生徒のみなさんがどんどん前のめりになっていく様子が見られました。私も質問を沢山していました。
赤穂緞通は明治時代の中頃から盛んに生産されるようになり、主に国内の商家などに広まりました。昭和13年に原材料の綿花の輸入統制によって全ての機場が廃業してしまうまで、赤穂にはたくさんの機場があったそうです。 赤穂緞通は他の2つ(鍋島、堺)に比べると柄の輪郭がはっきりとしているのが最大の特徴です。輪郭に沿ってハサミを入れる、「鋏入れ」という工程により、輪郭線上に溝が生まれ、美しい柄がくっきりと表出してきます。赤穂緞通の横糸と経糸にはのりが入っており、そのことによって緞通自体は薄くても、しっかりとどっしりとした硬さが生まれます。 三大緞通の違いや緞通の製作工程の説明を受けたあとに改めて赤穂緞通に触れると、みんなの視点が変わっていることに気づきます。 高級で貴重な赤穂緞通ですが、京都では今でも祇園祭の「屏風祭」の際に、屏風とともにお披露目される機会もあるそうですよ。
阪上先生は赤穂緞通を新しく作るだけではなく、昔のものを修復することもされています。20人ほどの赤穂緞通の作り手の中でも、修復まで請け負っている方は数名のようです。 物によると100年以上前の赤穂緞通を修復する時もあるそうで、時代を生き延びた緞通に思いを馳せ、一点ごとに最適な修復を考え、ただ治すだけではないお仕事をされているのが印象的でした。
現代では昔のように分業制では無いため、作り手がすべての工程を一人で担い、基本単位となる京間一畳分の製作に半年かかるようです。 古いものを修復するにせよ、新しいものを製作するにせよ、日頃の手入れをすれば数十年、100年と残っていく緞通を作り出す阪上先生は私からすると妖精のような仕事をされているなと感じました。
興奮冷めやらぬ中あっという間に45分が経ち、もう一方のグループと交代して、今度は中国茶のお話です。
私たちのために「池半」の万太郎さんがご用意くださったのは、ラフ族の白豪紅茶。雲南省のお茶でした。 赤穂緞通が作られたのも、元は一人の女性が海外からの伝来品を目にしたことが始まりのように、お茶も外国から日本にやってきたものです。その昔ビタミンが豊富なお茶は匈奴やチベットなど内陸にとってとても貴重で、馬一頭が背負う約60kgのお茶がその馬一頭と交換されていたというエピソードを万太郎さんが教えてくださいました。「馬一頭:茶60キロ」。今ではなかなか想像し難いですが、みなさん、どう感じますか?
中国の茶文化というのは、文化大革命の影響もあって一度衰退した経験があり、乾泡(カンパオ)式と言われる茶盤を使わないスタイルも、70年代以降日本の茶道に影響を受けた台湾の作法が中国大陸に逆輸入されたものでもあり、考え方や道具の類似性があるなど、意外なお話もしていただけました。
「点茶や煎茶の影響もあるのですが、そもそも点茶、煎茶自体かつての中国から輸入された方式なので、それが日本でガラパゴス温存された後、統治下の台湾で中華ナイズされ、それが文革後、経済成長しつつある一方で自分たちのアイデンティティに枯渇していた大陸の人々に、一気に普及した」と万太郎さんはいいます。
美味しい中国茶をいただいている間に、佐原先生からは、赤穂緞通の作り手を取りまとめ、赤穂ギャベの認知活動に携わるという興味深いお話を聞くこともできました。ギャベとは、遊牧民が日々の暮らしの中で実用品として使うために織られる、羊毛を使った手織りの絨毯のこと。赤穂緞通で培われた技術に柔軟な発想を取り入れて、日本の風土や現代の暮らしに合うように、綿糸でつくる手織りの椅子敷きが赤穂ギャベです。完成品を販売するだけでなく、ワークショップを行ったり、材料であるハセ糸(綿糸10番手/12本合糸)を販売したりとさまざまな工夫をされています。ハセ糸販売の発想は、作り手の綿糸製作や準備の負担が少なくなるようにという思いから生まれたそうです。
生徒のみなさんからも尽きぬ質問が飛び交い、うしろ髪引かれる思いでしたが、12時に予定通り一旦授業は終わり。 授業が終わったあとは展覧会が開場し、入れ違いにお客さんが来場されます。今回の授業は生徒6名のうち5名がカラスマ大学に初参加でしたが、私たちも再びお客さんとしてまじり、1時間以上も活発な「放課後」の議論を楽しみました。
本当に貴重な、私にとっても初見となった赤穂緞通との出会いは、一生忘れられないものになりました。いつか赤穂緞通を自宅に迎え入れられるように日々の暮らしを過ごしていきたいなと感じる日曜日の昼下がりでした。 先生、生徒のみなさん、そして、この授業のために、特別にアンティークの鍋島緞通をお貸し出しいただいた「幾一里」の荒井さん、ありがとうございました。
レポート・写真:べっち
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